軍事ジャーナリスト・前田哲男とウクライナ戦争

1938年生まれの前田哲男氏へのインタビュー記事(毎日新聞6/10)の中で前田氏は、22年2月24日に始まったウクライナ戦争を日米戦争の中で1945年に起きた硫黄島の戦いと重ね合わせている。「(ウクライナ戦争の)開戦の報を聞いて反射的に思ったのは、77年前の今ごろは硫黄島の戦いの最中だなということでした。2月19日に始まって、1ヶ月あまりにわたって続く米軍と日本軍との戦いです」硫黄島の戦いはクリント・イーストウッドによって映画化されている。当時の日本軍兵士にとって捕虜になることは恥とされ、戦死を選ばされていた。日本軍は降伏せず、玉砕という全滅戦を選んだ。「それは、今回の戦争を我が身に引きつけるということなんですよね。私がよく考えているのは沖縄戦との対比です。沖縄戦ではおびただしい数の市民が犠牲になるわけですが、ウクライナ戦争にもそういう面があります」前田氏はウクライナ戦争でのマウリポリを例に挙げている。アゾフスターリ製鉄所の地下には一時、多くの市民が取り残され、命が脅かされていた。「あれは天然壕、いわゆるガマの中に閉じ込められ、兵士と一緒に焼き殺された沖縄の人たちの恐怖や苦しみと非常に近いものがあったはずです」また、前田氏は「戦略爆撃思想」の取材を続けてきた。戦争に勝つためには都市を爆撃し、武器を持たない一般市民を犠牲にすることが正当化されるという思想だ。1937年のスペイン内戦ではナチス・ドイツによる「ゲルニカ爆撃」が行なわれた。これを知ったピカソは大作「ゲルニカ」を描き、戦略爆撃による祖国の悲劇を訴えた。1938年から始まった旧日本軍による重慶爆撃は、5年間にわたった。前田氏の著書によると「『戦略爆撃』の名の下で実施された最初の意図的で組織的、継続的な空中爆撃だった」「当時、軍部が作成した命令書には『重慶市街ヲ攻撃シ敵政権ノ上下ヲ震撼セントス』とあります。また、攻撃後に軍の報道部長は『爆弾炸裂の余勢で市民も犠牲を免れないこともあり得ると覚悟するのが常識である』という談話も発表している。その実態は市街地への無差別攻撃だったわけです」ロシアによる同様の無差別攻撃がウクライナに対して実行されている。前田氏は「その本質は重慶爆撃と全く変わりありません。市民を無差別に殺害する手法が、残念ながらウクライナでも再現されてしまったのです」1945年の米軍による日本への攻撃も容赦ない戦略爆撃だった。多くの焼夷爆弾が都市部を中心に撒き散らされ、多数の一般市民が焼死した。8月には広島、長崎に原爆が投下され一般市民多数が死亡した。世界各国は1945年以降、核兵器を使っていないが、何度も検討されてきたと言う。「実は戦後も度々、核の使用は検討されています。例えば米国。ベトナム戦争や朝鮮戦争をはじめ、数多くの戦争に介入してきましたが、軍部はその都度、核攻撃についてホワイトハウスに要求していました。それは公開文書からも明らかになっています」だが、最終的に大統領や側近たちが核兵器使用を押しとどめたという。ロシアによる核兵器使用を止めるために、唯一の被爆国である日本が核軍縮の議論を主体的にリードすべきだと語っている。

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