おいしいごはんが食べられますように(高瀬隼子作、第167回芥川賞受賞作品「文藝春秋」22年9月特別号掲載)

33歳の作者は、受賞作の舞台を埼玉県内の小さな職場に設定している。飲料などのラベルパッケージを製作する企業で、全国に13の支店がある。その会社の埼玉支店で働く30才前後の会社員たちの姿が描かれる。そこには中年の支店長、支店長補佐の他に入社7年目の男性社員・二谷、6年目の女性社員・芦川さん、5年目の女性社員・押尾さんたちがいる。芦川さんは会社近くの実家で家族と同居しているが、二谷と押尾さんは賃貸マンションから通っている。作者が描くのは、どこにも欠点がなさそうな芦川さんの恐ろしさだ。芦川さんは、皆から大切にされている。特にパートの中年主婦・原田さんからは絶賛されている。パート社員を親切にし、いつも笑顔で、手作りのお菓子を配ってくれるからだ。支店長も補佐も同じ。だが、押尾さんだけは芦川さんが苦手だ。苦手というより憎んでいる。芦川さんは偏頭痛で早退する。押尾さんは頭痛を我慢して残業する。早退した芦川さんが残した仕事は二谷や押尾さんに回ってくるからだ。明らかに押尾さんの方が芦川さんより仕事ができる。残業も厭わない。だが、芦川さんが憎まれることはない。早退した翌日には申し訳なさそうな笑みを浮かべて、一人一人に手作りのお菓子を配るからだ。
芦川さんは「職場で守ってやらなければならない人」になっている。その芦川さんを押尾さんは憎んでいる。二谷は、芦川さんとつきあい始める。芦川さんは二谷の部屋で料理を作る。だが、二谷は手作りの料理が食べたいわけではない。仕事して、残業して、帰りにコンビニ弁当を買って帰り、好きなカップ麺を食べてビールを飲めば満足だ。だが、芦川さんは「おいしい料理」を作ってくれる。お菓子もデザートも。二谷は、「おいしいなあ」と笑みを浮かべるが、本心では芦川さんを重荷に感じている。手作りのお菓子なんか、食べたくない。残業しながら、好きなカップ麺が食べたいのだ。芦川さんに対する違和感を、二谷と押尾さんは共有している。二人とも、芦川さんに好意を持てない。2人は残業の後で居酒屋に寄って、芦川さんの悪口で盛り上がる。共鳴した2人だが、セックス寸前でやめてしまう。職場では二谷と芦川さんの恋愛関係が知られる。2人が結婚するだろうと考える。そんな時、事件が起きる。芦川さんが持って来たお菓子。それが潰されてゴミ箱に捨てられていた。それを誰かが拾って、わざわざ芦川さんの机の上に置いたのだ。「芦川さんへの攻撃だ」と職場の人々は思った。誰よりもパートの原田さんが怒った。お菓子を潰したのは二谷だった。一人で残業しながら、二谷はそのお菓子を握り潰して捨てていた。ある夜は靴で踏み潰して捨てていた。それを出勤したばかりの押尾さんが拾い上げて芦川さんの机の上に置いたのだった。職場では、すべてが押尾さんの犯行だとされた。支店長の許可の元、補佐が押尾さんを問い詰めた。押尾さんは認めて退職することになった。同時に、二谷の千葉支店への転勤が決まった。本来なら芦川さんが転勤するはずだったが、支店長と補佐が本社に抵抗して、代わりに二谷を転勤させたのだ。芦川さんは見事に「守られた」のだ。全てが芦川さんの計算だったのかどうか、それは誰にもわからない。芦川さんと二谷は結婚する予定だ。それは二谷の希望ではない。芦川さんの望みなのだ。

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